自然農法とは
自然農法とはどのようなものであるか考えてみたい。
●自然という言葉の付く農法はたくさんある
"自然"や"天然"という言葉が含まれる農法(農作物の栽培方法)は、後述するように数多くあり、"有機農法"のように公的には定義されておらず、各自で名乗ってよいため(商標登録されている場合を除く)、栽培者によって栽培方法がかなり異なる。"自然の仕組みを生かした栽培"や"作物本来の力を生かす"などというあいまいな表現や商業のための時流に乗った表現として自然や天然という言葉を使っている人もいるようである。農作業の工程にはかなりの差があり、「耕起、除草、堆肥施用、自然農薬散布」までして慣行農法とほとんど変わらないような場合であっても、自然という言葉を付けている農法の例もある。ひどい場合には、「反自然・不自然でなければ自然農法だ」というその人にしか分からない理屈もある。
"自然"という言葉の持つ多義的な意味は、混乱を招きやすい面があるうえに、生産者と消費者にとっては、基本的な用語、農薬、肥料などの解釈も違う場合も多く誤解も生じやすい。そこで、自然農法、自然農、有機農法などの各農法の違いとその意味について私なりに考える。
名乗る名前は、基本的には自由でよいのかもしれないが、有機農法では誤解の多さから法律で表示が制限されることとなった。いまだに、農薬を使っていても有機肥料を施しているから有機農業だという生産者や、低農薬有機栽培などと宣伝している例もよくみかける。"自然農法"という言葉でも、いたずらに混乱を招くばかりでは、自らの利益にはならない。
●自然という言葉の付く農法はたくさんある
"自然"や"天然"という言葉が含まれる農法(農作物の栽培方法)は、後述するように数多くあり、"有機農法"のように公的には定義されておらず、各自で名乗ってよいため(商標登録されている場合を除く)、栽培者によって栽培方法がかなり異なる。"自然の仕組みを生かした栽培"や"作物本来の力を生かす"などというあいまいな表現や商業のための時流に乗った表現として自然や天然という言葉を使っている人もいるようである。農作業の工程にはかなりの差があり、「耕起、除草、堆肥施用、自然農薬散布」までして慣行農法とほとんど変わらないような場合であっても、自然という言葉を付けている農法の例もある。ひどい場合には、「反自然・不自然でなければ自然農法だ」というその人にしか分からない理屈もある。
"自然"という言葉の持つ多義的な意味は、混乱を招きやすい面があるうえに、生産者と消費者にとっては、基本的な用語、農薬、肥料などの解釈も違う場合も多く誤解も生じやすい。そこで、自然農法、自然農、有機農法などの各農法の違いとその意味について私なりに考える。
名乗る名前は、基本的には自由でよいのかもしれないが、有機農法では誤解の多さから法律で表示が制限されることとなった。いまだに、農薬を使っていても有機肥料を施しているから有機農業だという生産者や、低農薬有機栽培などと宣伝している例もよくみかける。"自然農法"という言葉でも、いたずらに混乱を招くばかりでは、自らの利益にはならない。
●自然農法と有機農法の違いの簡単な説明
一般農法(現在、最も多く行われている農薬を使った栽培方法)、有機農法(有機JAS法に定められた方法)、自然農法について、各農法で典型的な方法について比較すると、
有機農法では、一般農法で使われている農薬のうち有機JAS法で認められている農薬については使っていいことになっている。つまり、害虫や菌を敵視するという考え方に違いはない。また、一般農法では化学肥料と有機質肥料を使うのに対し、有機農法では有機質肥料を使っているだけであり、自然農法の肥料を必要としないという考え方とは異なる。つまり、有機農法は、一般農法の考え方に近く、自然農法とはかなり異なる。なお、自然農法は農薬や化学肥料を使わないことから、有機農法の一分野として、有機農法に含められて説明されることもある。
●自然農法の定義
まずは、自然農法とは、一般的にはどのように定義されているのか調べる。
wikipediaによる定義(閲覧2009年9月)では、自然農法とは
福岡氏は昭和47年に著書で"自然農法"という言葉を使用したが、それより22年前に自然農法と言う言葉を提唱したのは、岡田茂吉氏である。当初は、岡田氏は"無肥料栽培"と称していたのだが、進駐軍が無肥料という名前では認められないというので、自然農法(自然栽培、自然農耕法)と改称したという。岡田氏は、宗教家であり、自然農法においても宗教的観念から出発している。造物主が人間生命を保持すべきものとして作った土に、化学肥料や糞尿堆肥という肥毒を投入してはならない、という無肥料栽培を原点とし、何を自然とするかは岡田氏の宗教的観念に依った。福岡氏の四大原則のようにあえて言えば、「不施肥・無農薬・耕起・除草」ということになるが、耕起と除草については適当で良い様である。なお、岡田氏亡き後、世界救世教の各派では、肥料についての解釈やEM資材の使用等の見解の違いで栽培方法の内容は若干異なる。
農家の川口由一氏は、無農薬とした場合の害虫対策として、現在の有機農法で広く行われている物理的な防除に頼らずに、圃場における生命の連鎖を生かし、害虫と益虫のバランスを図るため、不耕起・不除草とした。
自然農法の用法例
日本農法の天道(徳永光俊著、2000年)では、自然農法を「休閑することで自然に地力が回復するのを待つ段階(片荒(かたあらし))」とし、人工農法を「15〜17世紀に人間が自然を積極的に改造し施肥や深耕によって人工的に地力を増大させて連年作付けする段階(二毛作や田畑輪換)」とした。すなわち、15〜17世紀以前の自然に依存するという意味で「自然農法」、人工的に自然を改造するという意味で「人工農法」と名づけている(p.238)。
日本の自然農法(来米速水編集、1983年)では、自然農法とは岡田茂吉氏のものを指し、福岡正信氏のものは福岡式自然農法としている。福岡式自然農法を、自然農法の無化学肥料と無農薬に、無除草と無耕起の二つが付加されているが、理念は岡田氏の自然農法と軌を一にするものであり、「自然のリズム」に沿い、「現代の工業的な科学農法」を全面的に否定すると紹介している。
まず、過去に提唱されている自然農法については考慮せずに、"自然"という言葉について考えてみたい。"自然"とは何であろうか。一般的に、自然と言えば、
1. 人間が関与しない山や川などのあらゆるもの。
2. 人間を含めて万物一切のもの。
3. 人や物の本来のありのままの状態や性質。
自然と農業の区別、採取と粗放栽培
農法は、農業の方法のことであり、農業は人手を加えて動植物を育てることであるから、人間が必ず関与するものであり、野山に自生している山菜を採取する行為だけの場合は、農法に含まれない。
人間を含めた万物が本来の状態や性質であることが自然だとすれば、田畑では本来の状態とはどのようなものであろうか。人間の力は、地球環境そのものを破壊するほど強力になったので、近代農業の状況を人間ありのままの姿だからといってそれは自然とは言えないことは、はっきりしているのだが、どの程度の人為を許すのかが自然農法を定義するうえでの問題となる。
人為を最も少なくした農業の形態は、いわゆる「粗放栽培」で、種を播いただけで、管理はせずに収獲だけを行うものである。
粗放栽培の一つに「焼畑農業」がある。焼畑農業は、森林や原野を伐採・焼却することで整地し、焼却灰を肥料とするため施肥は必要としない(このため耕す必要もない)。森林は、開けた場所に生える雑草がないので、焼き畑では雑草が生えにくく、初年度は除草の必要がない。土地の肥料分がなくなるまでの短期間のみ栽培が可能で、地力がなくなれば、放置され、再び植生が回復されるまで待つことになる。地力の低下の要因の他に、雑草の繁茂により耕作不可となることもあるようである(熟畑化過程における雑草植生の変遷に関する研究より)。現在、日本でも九州の山間部等で行われており、栽培期間は3〜5年で、栽培後15〜20年間放置される。
「切替畑(きりかえばた)」は、森林を伐採し畑として数年利用するが、焼却はしない点が焼畑農業と異なる。地力が衰えると、苗木を植えて、休閑する。
焼畑農業や切替畑は、除草がほとんど必要ではなく、肥料を外部から与えないが、自然農法と呼ぶことは、ほとんどないようである。
なお、「畑」という漢字は、元々の意味として畑は焼畑を指し、「畠」は常畑を指して、区別されていた。「畠」、「畑」とも日本の国字であり、漢字ではない。
化学肥料、化学農薬の普及以前
日本の農業においては、江戸時代に植物性原料の農薬が使われ始めたが、満足に害虫を駆除するものではなく、害虫は自然発生するものという認識であり、祈祷や虫送りに頼っていた。また、肥料は都市近郊では人肥が、換金作物には干鰯などの高価な肥料が使われたが、もっぱら草地や林地からの刈り敷きに頼っていたという。
武蔵野台地の例では、「化学肥料が導入される以前は、1反の畑に1反の山でとれたクズ(落葉)が必要で、1反のヤマのクズを1日で掃くには10人の労働力がいる」(武蔵野の畑作文化より)
高度に作物化した野菜
人間の欲望は限りなく続き、甘いものはさらに甘く、大きいものもより大きく、外観は人工的なまでのキレイさ、小売に都合がいい均一的な大きさ、本来の旬ではない季節での生産などを求めて、品種改良や生産技術が改良されてきたのが慣行農業である。限りない欲望を満たす人工的作物は、農薬と化学肥料と大量のエネルギーを使った工業製品と言えなくもないのではなかろうか? 高度に作物化された野菜を作るための「自然農法」はありえるのだろうか? ネットメロンや冬のイチゴを作ることができる自然農法はあるのだろうか?
個人的な見解による自然農法の分類
何をもって「自然」とするべきであるのか不勉強な著者にとっては定義付け難いので、個人的な見解によって、生物多様性を図ることで無農薬・無肥料とする農法のことを自然農法としたい。一般的な有機農業の圃場では、虫を寄せ付けない、雑草は生やさない、作物しかないような場所であり、「作物砂漠」となっていて、慣行農法とさほど変わらないように私は思える。私にとって、「自然」とは豊かな生命を表すものでなければならない。
岡田茂吉氏の農法は、原義が「無肥料栽培」であり、岡田氏は田畑に住む生物について言及していないようであるため、自然農法には含めない。
福岡正信氏の農法は、無為自然の証明のためであって、岡田氏の農法と同様に自然農法に含めない。ただし、不耕起栽培であるので、結果として豊かな生物を育む。また、粘土団子による緑化は、生物多様性に貢献した。
岩澤信夫氏の自然耕は、省力化と省コストを目的としたものであり、自然農法に含めない。ただし、不耕起栽培であるので、結果として豊かな生物を育む。
川口由一氏の自然農、耕さなければ雑草や虫たちの生命が守られ、農薬や肥料が不要となるという考え方であるので、自然農法に含める。
農薬と肥料は、種類が多い。同じものを使っていながら、ある人は無肥料だと言い、別の人は肥料だと言うこともあるのが現実であるので、農薬と肥料についてまとめてみた。
●農薬
農薬取締法で農薬は定義されている。病害虫の防除に用いられる殺菌剤、殺虫剤その他の薬剤及び農作物等の生理機能の増進又は抑制に用いられる成長促進剤、発芽抑制剤その他の薬剤。
2002年に新設された"特定農薬"(通称は特定防除資材)は、食酢、重曹、天敵(農地の近くで採取した昆虫)の3種類が指定されている。特定農薬とは、農薬取締法第2条第1項において定義され、「その原材料に照らし農作物等、人畜及び水産動植物に害を及ぼすおそれがないことが明らかなものとして農林水産大臣及び環境大臣が指定する農薬」となっている。
また、有機農産物の日本農林規格で使用が認められている農薬には、重曹、食酢、生石灰、天敵等生物農薬、性フェロモン剤、クロレラ抽出物液剤、混合生薬抽出物液剤、二酸化炭素剤、ケイソウ土粉剤などがある。
無農薬という表示は禁止事項
特別栽培農産物に係る表示ガイドラインによれば、「無農薬」という表示は、「土壌に残留した農薬や周辺ほ場から飛散した農薬を含め、一切の残留農薬を含まない農産物」と受け取られ、優良誤認を招くとして表示禁止となっている。なお、「無化学肥料」という表示も同様な理由で表示禁止事項である。
消費者に誤認を与えず、特別な栽培方法を正確に消費者に伝えることができる内容の表示として、農薬を使用していない農産物には「農薬:栽培期間中不使用」と表示して良いことになっている。
特別栽培農産物に係る表示ガイドラインにおいて、農薬とは「農薬取締法第1条の2第2項に規定する天敵及び第2条第1項に規定する特定農薬を含まない」となっているため、天敵及び特定農薬を使用していても、その他の農薬を使用しない場合には「農薬:栽培期間中不使用」の表示が可能である。
特別栽培農産物に係る表示ガイドラインにおいては、「天然栽培」、「自然栽培」等は、紛らわしい用語とされている。
特定農薬の判定保留資材
木酢液・竹酢液などの判定保留資材は、暫定的に使用者が自分の責任と判断で使うことが可能である。木酢液・竹酢液は、農林水産省の調査によれば農薬としての効果を科学的に検証できず、また、いくつかの毒性試験で陽性を示したため特定農薬への指定は見送られた経緯があり、現在も特定農薬判定保留資材となっている。
無農薬という表示の例
リンゴの栽培で有名な木村秋則氏は、特定農薬の食酢を散布しているので、無農薬として紹介するメディアにおいては、食酢は法的には農薬と注釈が付けられている場合も見受けられる。
化学合成された農薬は使わずに、生物農薬のみを使っている農家では、"無農薬"という表示がよく見られるが、一般の人にとってはそれほど違和感はないであろう。
有機認証を受けた農家の一部には、有機JASで認められた農薬を使っている場合にも"無農薬"と表示している例もあったが、適切ではなかろう。
防除について
生物農薬や特定農薬といった安全なものを使ったり、人間が害虫を補殺したりするという防除は「菌や害虫を意図的に殺すこと」であり、それが自然の名前に値するのか自然と共生するのであろうか。無防除については、教条的だと感じる人もいるであろうが、「害虫は益虫のエサ」あるいは「過剰な肥料を摂取した野菜を害虫が食べ、清浄化する」と積極的に考える人もいる。
一般的な農薬、安全な食酢、生物農薬などの使用は、適切に使用すれば健康に問題はなく、環境への影響も少なくなるであろうが。。。
●肥料
"無肥料"という言葉も、"無農薬"と同じように、解釈の異なる人や誤解をしている人が多い。肥料は「肥料取締法」で定義されている。土壌の改質のみを目的としたもの、たとえば、腐葉土は、肥料ではない。一般には腐葉土と呼ばれているものを、自然農法では、自然堆肥と呼び、施用する流派もある。たい肥は、肥料ではないと言う人もいるが、肥料取締法では、特殊肥料として規定されている肥料である。
・特殊肥料
米ぬか、魚かす、たい肥、動物の排泄物(乾燥した鶏糞)など。特殊肥料は、公定規格を設定できないため、肥料成分の最低基準はなく、窒素含有量が0.5%未満など極めて肥料成分が少ないものもある。
・自然堆肥
草や落ち葉を堆積させ自然に腐食させた腐葉土のことであり、一般的には肥料とは言わないが、岡田茂吉氏の自然農法では自然堆肥と言うこともある。草や落ち葉を早く分解するために米糠などを加えたものは、自然堆肥とは言われていない。
動物の排泄物を材料に含む堆肥(動物性堆肥)
動物性堆肥で発酵が未熟なものを過剰に施用すると、病害虫が増えるのは事実であり、慣行農法では完熟した堆肥の施用が推奨されている。自然農法では、多くの流派が動物性堆肥の施用を禁じている。動物の生産過程においては抗生物質やホルモン剤が使用されることはある。また、発酵が不十分な場合には寄生虫の恐れがある。
下記に自然農法や自然という言葉が付く農法についてまとめた。(自然栽培は岡田茂吉氏系統として分類した。2013年2月追記)
岡田茂吉氏の流れをくむ自然農法
略歴 岡田茂吉(おかだもきち1882-1955 自然農法という名称の提唱者)。
宗教家としても知られる岡田氏は、大正9年に大本教に入信し、昭和10年に大日本観音会(後の世界救世教)を立教した。昭和10年に世田谷区上野毛に移転し、翌11年から畑作をした。昭和13年から畑作を対象にして無肥料栽培の実験を開始し、昭和17年から水稲栽培も開始した。昭和18年に「化学肥料で栽培された作物を食べると、知らず知らず人体に悪い影響が出る」と述べ、個別的に無肥料栽培を信徒に奨励していたという。最初に公に発表した「地上天国創刊号 昭和23年12月」では"無肥料栽培"という名称であったが、昭和25年10月の地上天国17号にて自然農法・自然栽培と改称すると発表した。28年に「自然農法普及会」が発足、29年に月刊誌「自然農法」が創刊。30年に岡田氏が亡くなった。39年に第一回自然農法推進大会を開催。43年に熱海商事売店に自然食品コーナーを設置し販売体制の整備を開始したが、翌44年には自然農法普及会が解散し一時退潮した。しかし、46年には自然農法研究委員会が発足、47年全国自然農法担当者会議開催。48年に流通機関のMGCを設立(MGCは後にMOA商事、MOAインターナショナルとなる)。57年に大仁農場開設、自然農法国際総合開発センターとMOA研究所設立。60年に財団法人自然農法国際研究開発センター設立(任意団体だった自然農法普及会と自然農法国際総合開発センターを改組)。1999年にMOA自然農法文化事業団設立。
土は神様が作られた清浄なものであり、清浄な土へ肥毒(人や家畜の糞尿、化学肥料)を投入しないことを根本とする農法である。自然堆肥(木の葉や草を材料にした堆肥)も活用するが、肥料として用いるのではなく、根の伸びをよくするため30cmほど土と混ぜ合わせるためと地表に敷き保温のために用いるとしている。植物質を堆肥化して使用してはいるが、目的が土壌改良であるので、現在でも無肥料栽培といえる。害虫は肥毒によって発生するものであるから、肥毒がなければ農薬は不要となる。肥毒がなくなれば作物の生命が強くなり、雑草は弱くなるという。不耕起ではない。
以下に、岡田氏の無肥料栽培に関する論拠をいくつか示す。
「私は今無肥料栽培につき解説するに当ってまず根本理論から説いてみるが、そもそも土とは何ぞやと言う事である。言うまでもなく人間生命を保持すべき最重要なる五穀野菜を生育すべく、造物主が造られたものに違いない、従って土そのものの本質は神秘幽玄なるものであって、現在までの唯物科学によるも到底窺知し得ない事は論をまたないところである。しかるに今日までの農業はしらずしらず邪道に堕ちいりたる結果土の力を蔑視し、一切の作物をより良く生育するには糞尿または化学肥料等の人為的肥料に依らねばならぬと思い、今日に到ったのである。
(中略)
そうして前述のごとく金肥及び人肥は必要としないが、天然堆肥は大いに利用する必要がある。それについて述べてみよう。あらゆる植物を成育さす場合最も肝腎な事は、根の末端である毛細根の伸びを良くする事であって、それには土を固めないようにするのである。堆肥はあまり腐らせ過ぎると固まりやすくなるから半腐れ位がいい。草葉の堆肥は早く腐蝕するからよいが、木の葉は繊維や筋が硬いから、長期にわたっても充分腐蝕させるべきである。その訳は前述のごとく根の尖端が堆肥の葉筋に当り妨害されるからである。近来、根に空気を与えるのを良いとしているが、これはちょっと的外れである。何となれば空気が流通する位の土であれば根伸びが良いからで、実は空気は関係がないのである。今一つ注意すべきは土壌を温める事で普通の野菜においては堆肥は地下一尺位の深さに一尺位の積層を作るとよい。ただ大根、人じん、ごぼうのごとき根が目的のものは堆肥のふかさもそれに準ずべきで、その場合草葉の堆肥を土とよく混ぜ合す事、木の葉の堆肥は右のごとく地下の床作りにする事、これが理想的である。(以降略す)[地上天国 1号、昭和23年12月1日発行]」
「堆肥を使う自然肥料 ここで注意したい事は吾らがいう「無肥料栽培」という言葉は実をいうとピッタリしないのである、何となれば堆肥を用いるのだから無肥料ではない、自然肥料というのが本当である、すなわち人造肥料をやめて自然肥料にする事である。(光39号 昭和24年12月10日)」
「人肥金肥は一切用いず、堆肥のみの栽培であるから、その名のごとく自然農耕法というのである。もちろん堆肥の原料である枯葉も枯草も、自然に出来るものであるからであって、これに引換え金肥人肥は元より、馬糞も鶏糞も、魚粕も木灰等々天から降ったものでも、地から湧いたものでもなく、人間が運んだものである以上、反自然である事は言うまでもない。(栄光 79号 昭和25年11月22日)」
「中耕も土を固めぬためです。箱根で古くて小さい、いじけてしまった木を見ると下に石がたくさんある。それが邪魔して発育が悪いんです。根が石なんか割りますからね、すごい力です。だから耕すのも固まらせないことが必要です。(御垂示 昭和23年4月8日)」
「信者の質問:大先生様御主唱の無肥料耕作には堆肥として草を用いるように伺いましたが、現今学界で反対されております枯草、枯葉等に糠を加えて発酵させた堆肥を用いると在来の金肥、下肥等の場合より効果多いと承りましたが、右の肥料は大先生様の御理論と等しきものと考えて宜しいもので御座居ましょうか。
明主様御垂示:農法は自然が元になっている。枯草や枯葉があるという事は、神様がそういう風に造ってあるのである。であるから、糠を加えるのは不可である。(御垂示 昭和23年12月12日))」
「レンゲなんかいりませんよ。あれは肥料じゃなくて美しい花を見せるために神様がお作りになったんですからね。(御垂示 昭和25年1月20日)」
「除草は問題ではない。良いと思う時にすればいい。無肥料になると草の生え方が違う。米の成長する力が強くなるから雑草の生える力が弱くなる。神様は人間の生命を保つものには、強い力を与えている。故に無肥料になると除草が楽になる。(御垂示録1号 昭和26年8月5日)」
「元来害虫なるものは、人為肥料から湧くものであるから廃止すれば湧かないに決っている。処が現在は害虫を駆除しようとして、殺虫剤や消毒薬を旺んに用いているが、実はこれが土壌へ浸み込んで、害虫発生の原因となるのでその無智なる哀れむべきである。(栄光141号 昭和27年1月30日)」
人肥金肥は一切用いず、堆肥のみの栽培であるから、その名の如く自然農耕法というのである。勿論堆肥の原料である枯葉も枯草も、自然にできるものであるからであって、これに引換え金肥人肥は固より、馬糞も鶏糞も、魚粕も木灰等々天から降ったものでも、地から湧いたものでもなく、人間が運んだものである以上、反自然である事は言うまでもない。(自然栽培の勝利(革命的増産の自然農法解説)昭和28年5月5日)
「自然農法の原理について簡単にいうと、土の偉力を発揮させることだ。自然農法の名は人肥、金肥は一切用いず堆肥だけの栽培で堆肥の原料である枯葉も枯草も自然に出来るものだから私がこうつけている。そもそも森羅万象どんなものでも大自然の恩恵に浴さないものはない。つまり火、水、土の三原素によって生成化育するということがいえる。(東京日々新聞 昭和28年2月27日発行)」
(参考)岡田茂吉師の自然農法に関する論説(多田光行編)、創始者 岡田茂吉の言葉、神慈秀明会 会員の編集する明主様・岡田茂吉師御教え集
岡田茂吉氏が立教した世界救世教は、現在3派体制(世界救世教いづのめ教団、東方之光(MOA)、世界救世教主之光教団)となっており、自然農法についても拠点が分かれ、自然農法国際研究開発センター、MOA自然農法文化事業団-自然農法大学校となっている。
また、世界救世教の派生教団においても、自然農法は行われており、それぞれの自然農法では若干異なる部分がある。
自然農法国際研究開発センター
化学肥料・農薬(合成・天然を問わず)は使用しない。畑作では、堆肥施用、刈り敷き、緑肥、EMボカシで、耕起は未熟な土では深耕・客土とし成熟した土では草生栽培を主体に省耕起とする。
MOA自然農法文化事業団
化学合成された農薬や肥料は使用しない。落ち葉や草を材料とした自然堆肥を活用する(家畜糞堆肥は事業団の認可が必要)。自家採種が望ましい。暗渠、堆肥、客土などで土壌改善。
秀明自然農法
神慈秀明会(世界救世教からの分派教団)。秀明自然農法ネットワークでは、「秀明自然農法実施要綱」を定めている。無肥料での栽培を基本とするが、枯れ草、落ち葉だけから成る「自然堆肥」の使用も過渡的に許容している。秀明自然農法で特徴的な栽培技術は、"連作"で、同じ圃場に作付けする作物を一種類に限定する。自家採種が原則。全国各地に約1200名の生産者が秀明自然農法を実施している(注1)。
佐古氏の例では、トマトの連作に関しては失敗の連続であるが、10年以上もトマトの連作をして成功している人もいるという(注1)。
注1)佐古康徳(秀明ナチュラルファーム),秀明自然農法というこだわり,2007
自然農法=無施肥・無農薬栽培
黎明教会(世界救世教からの分派教団)。NPO法人無施肥無農薬栽培調査研究会で調査・研究などをしている。“無施肥無農薬栽培法”は、化学肥料や農薬はもとより、有機物さえ人為的には一切使用することなく、土壌の生産力と灌漑水による天然供給のみによって農作物を栽培する。耕起、除草は行う。
自然栽培
株式会社ナチュラル・ハーモニーやリンゴの無農薬栽培で有名な木村秋則氏が使用している言葉である"自然栽培"。ナチュラル・ハーモニーによる自然栽培の定義は「肥料も農薬も使わない栽培方法で、外からの養分供給を行なわない」。
木村氏も無農薬無肥料ではあるが、ナチュラルハーモニーは生産された作物が健康に良いことを強調するのに対して、木村氏も自然栽培の作物の素晴らしさは説くが、自然との共生(木も動物も花も虫も、人間も兄弟であり、人間は自然の支配者ではなく自然の中に人間がいる)を理想としている。ナチュラル・ハーモニーの創業者の河名秀郎氏は、岡田茂吉氏の自然農法の影響が強いようである。
自然栽培全国普及会による自然栽培の定義は、『本自然栽培 栽培基準において「自然栽培」とは自然の力をいかんなく引きだす永続的かつ体系的な農業方式の呼称です。肥料・農薬には頼らず植物と土の本来持つ力を引き出す農業です』。また、自然栽培の理念は『「自然尊重 自然規範 自然順応」の3つの言葉に集約されます』。使用禁止として『人・家畜の排泄物及び人・家畜排泄物を含む全ての資材、堆肥等』
「自然栽培」という言葉
この言葉は、もともとは岡田茂吉氏が、昭和25年頃から「自然農法」という言葉と同じ意味で「自然栽培」という言葉を使っていた。たとえば、昭和25年11月22日発行の栄光79号では「自然栽培の勝利 土の偉力」と題した論文の中で、「そもそも自然農法の原理とは、土の偉力を発揮させる事である」とある。
・木村氏の自然栽培
無農薬、無肥料。養分を補給する場合は、大豆などのマメ科植物を混植する。
主人公は作物で、人間はお手伝いをするものであり、栽培する作物の身になって考えることが大切だと説く。たとえば、スピードスプレーヤーの使用については、「もし、あんたの体の上を車が走ったらあんたどう思う。痛いと言うだろう。木は何も言わないけれど、かゆいとか痛いと感じるだろう。(参1.p132)」
リンゴ栽培では、黒星病予防のために、酸度15%の醸造酢と小麦粉の糊の展着剤を混ぜて散布する。醸造酢を同じ濃度で使うと病原菌が耐性を持つので、200〜400倍に希釈倍率を変えて使用する。暑い夏には下草を生やすが、9月中旬頃に草を刈ってリンゴに秋を知らせる。養分補給のために大豆を播くが、大豆1本あたり根粒数が10粒以下になったら翌年は播かない。
米の栽培では、肥料は施さない。田んぼは乾かしてから粗く耕し、乾土効果を発揮させる。秋には耕起はせず、ワラを土の上に置けば腐敗せずガスが発生しない。田植え後の除草は、田植え1週間後に自動車のタイヤチェーン2本をひきずって歩く、それを1週間ごとに計3回行う。
「野菜の栽培では、米栽培と同様に乾土効果が大事で、大きく粗く耕す。乾土効果の目的は、土中に酸素を好気性菌の活動を促すことにある」という。
リンゴの無農薬栽培を始めた頃に、福岡正信「わら一本の革命」とロデイル「有機農法」を読み、自然農法の考えにひかれたそうである。自然農法ではなくて"自然栽培"という言葉を使う意味は、農業は抽象論ではなく経済行為であり、農法論ではない。百姓は作物を栽培して生活をしていかなければならない。経済的に成り立つやり方でないといけない(参1,p193)
参考1)木村秋則著,リンゴが教えてくれたこと,日本経済新聞出版社
福岡正信氏の自然農法
略歴 福岡正信(ふくおかまさのぶ1913-2008)は、横浜税関に勤めていた昭和13年に肺炎をきっかけに突如「人知・人為は一切が無用である」と悟り退職。その一切無用論を証明するために、実家のミカン園にて何もしない放任栽培を開始したが、400本のミカンはおおかた枯れてしまい失敗した。後年、「放任は自然ではなかった」といい、剪定で自然型の樹形を作ると無農薬にできると述べている。昭和14年、高知県農業試験場に就職したが、職務の傍ら自然農法と科学農法を問題にしていた。終戦後の昭和22年に再度帰農し、粘土団子にして種をまく米麦連続不耕起直播を考案した。著書は、昭和47年 緑の哲学 自然農法と理論と実験、昭和50年「自然農法・わら一本の革命」、昭和60年 無〈3〉自然農法など多数ある。思想・哲学家としても知られる。
「無分別の智恵で認識された自然を真の自然とし、人間の創造した分別智による自然を虚像の自然として明確に区別し否定する。この虚像の自然、不自然なもの一切を排除する」という福岡氏の自然観、哲学的思想について、人知とは人為とは何を指すのか私には理解することが難しい。究極的には無労働の農法を目指していたようである。
川口由一氏の自然農
略歴 川口由一氏(かわぐちよしかず 1939-)は、「自然農」の提唱者。23年間の農薬使用で体を壊し、その時に、福岡正信「わら一本の革命」や有吉佐和子「複合汚染」を読み、昭和53年より無農薬栽培を始めた。当初3年間は7反の田んぼで翌年の種もみくらいしか収穫できなかったが、10年を要してなんでも育てられるようになる。自然農は、「耕さず、肥料・農薬を用いず、草や虫を敵としない、生命の営みに沿った農」という言葉でよく説明されている。昭和62年「妙なる畑に立ちて」を雑誌に連載した。自然農を学ぶ場所「赤目自然農塾」では、毎年250人以上、これまで3500人以上が学び、全国では同様な場所が40箇所以上あるという(注1)
なお、"自然農"という名称は、"自然農法"が商標登録されていたために名づけられたらしい(未確認)。
自然農は、自然を"命の営み"ととらえ、命の営みに沿い従う農法である。根本は、耕さないことであり、耕さなければ雑草や虫たちの生命が守られ、その結果として農薬や肥料が不要となるという考えである。
著書は、「妙なる畑に立ちて(1990)」、「自然農から農を超えて(1993)」、共著に「自然農」、「子供の未来と自然農」、「自然農への道」、記録映画に「自然農 川口由一の世界」などがある。
注1)こころの時代〜宗教・人生 自然に沿って生きる 川口由一 2004年12月12日
百福自然農法
除草は、除草剤や殺虫剤は使用せず、強力な火炎放射機を用い、雑草の種や害虫の卵等を農作業をはじめる前に焼く。肥料は、「自然界で生育する植物は地表面から栄養成分を吸収して育つ」という仕組みを生かし、「生竹をチップ状にし、さらにともずりをかけ、竹のリグニンとセルロースを分離し、綿状にしたものを地表に撒く」という。
自然耕
岩澤信夫氏が提唱した稲の冬期湛水不耕起移植栽培のことを「自然耕」ともいう。農薬と化学肥料は使用せず、有機質は植物質のみで動物由来は使用しない。圃場が固いため、専用田植機を使っての田植えとなる。
公式HP:田んぼ博士の応援隊、自然耕塾では実地指導が受けられる。
岩澤信夫氏の代表的著書「不耕起でよみがえる」
「畑に加えるのは完熟堆肥のみで、材料は草、稲藁、籾殻などの植物79%、それを分解する窒素分として残飯、豚糞、牛糞、鶏糞、米ぬかなどを21%加える。堆肥が少しでも未熟だと作物が病気になったり虫に食われたりする。稲作の場合は、田んぼの外からは全く堆肥を入れない。収穫後に草を生やし、稲藁も籾殻も田んぼに戻して堆肥にする。(自然に従う生き方と農法 ルオム ツルネン・マルティら著より)」
著書は、ニンジンから宇宙へなどがある。
自然農業
日本自然農業協会。天恵緑汁、漢方栄養剤、乳酸菌、魚のアミノ酸など手作り活性化資材を使って土着微生物の力を活用する。
天然農法
藤井平司氏の著書「甦えれ!天然農法(1983年) 」
天然理学農法
楢崎皐月氏が提唱した「植物波農法」の別名として「天然理学農法」が使われている。大地電位の調整技法。楢崎研究所
不耕起栽培
不耕起栽培であっても、水口文夫氏のように、不草生・化学肥料施肥としている例もある。
パーマカルチャー(永続可能な農業)
パーマカルチャーでは、「森のような畑を作る」ため、落ち葉によるマルチングをする。除虫と除草のため、草食動物を利用する。
バイオダイナミック農法
有機農法の一種で、人為的な化学物質を使用せず、ハーブ、鉱物、家畜を利用して作った調合剤で防虫する。天体の運行が作物に影響すると考え「種まきカレンダー」に従って、種まきや植え付けなどを行う。
自然環境農法
百余年前にアープ・トーマス博士が提唱した農法。生態系の原理を重視した微生物(アープ・トーマス・オルガ菌、60種余りの微生物群)を活用する。
・NPO法人 自然環境農法研究会
●商標によって登録されている名称もある。
「自然農法」権利者 世界救世教
野菜(「茶の葉」を除く。),茶の葉,糖料作物,果実,コプラ,麦芽 (略)
「自然農法」権利者 財団法人自然農法国際研究開発センター
雑誌,新聞
「自然農法」権利者 メルシャン株式会社
日本酒,洋酒,果実酒,中国酒,薬味酒
「自然農場」老松酒造株式会社
野菜
「地球式自然農法」スナガ開発株式会社
「救世自然農法」財団法人自然農法国際研究開発センター、株式会社瑞雲
「MOA\自然農法\いちばん」「MOA\自然農法\にばん」株式会社エム・オー・エー商事
「天然自然農法会」阿藤 鋭郎
「秀明自然農法」宗教法人▼神▲慈秀明会
「EM自然農法」株式会社EM研究機構
●有機農法の先駆例
安藤孫衛氏
昭和25年、福岡市にて内科医院を開業。自然食による食餌療法を徹底させるため無農薬有機肥料栽培の自家農園を拓き、自ら耕して農作物を入院患者の食事に供する。昭和27年「食品公害から健康を守る会」発足
梁瀬義亮氏
昭和34年医師であった梁瀬氏は「五条市健康を守る会」(後の財団法人慈光会)を発足させ、協力農家にて無農薬、無化学肥料、有機肥料施肥で栽培した。→財団法人慈光会 有機農法について
田や畑は人間を含めた動植物が共生する豊かな生態系を形作っていれば、人間と自然は対立するものではなく、自然農法が成り立つであろう。
作物は数千年の歴史をかけて人間が野草から改良を重ねてきたものであり、人間の手を加えずに自生し続けられる作物はほとんどない。田畑という人間が管理する環境においてのみ、作物は次の世代へと生き続けられる。田畑からの恵みを人間は享受するが、農薬を使わない農業をしていると、田畑の周囲の環境にも支えられていることに気付く。化石エネルギーに支えられた近代農業は、いずれ破たんするであろう。その時に、田畑の周辺の豊かな環境、動植物がなければ、特定の病害虫の大発生により農業は成り立たないのではないだろうか。日本のような温暖湿潤の気候では、雑草・害虫は多い。しかし、人間の手の加えられていない環境では、多種類の動植物が共存・競争して、特定の動植物だけが大発生することを防いでいるし、田畑においても実際に実践している人はいる。
農薬を使用せず、害虫も補殺しなければ、実に興味深い生命のつながりを見ることができる。アブラムシにだけ寄生するハチ、その寄生しているハチにさらに寄生するハチもいる。テントウムシはアブラムシがいないと困るであろうし、アブラムシを餌にしてカマキリの若い幼虫は育つ。カマキリの卵だけを食べる虫もいる。害虫がいなければ、益虫は育たないのだ。益虫の棲む雑草も必要だということにも気が付く。
→ 自然農法 関連の本
本記事は、長い時間をかけて調べ、書いたものです。無断で転載することは、固くお断り致します。 無断転載された例→1 2
初稿 2009年9月 以後、数知らず、修正・加筆。最終更新 2013年2月18日
一般農法(現在、最も多く行われている農薬を使った栽培方法)、有機農法(有機JAS法に定められた方法)、自然農法について、各農法で典型的な方法について比較すると、
一般農法 | 有機農法 | 自然農法 | |
農薬 | 使う | 一部使用可 | 使わない |
肥料 | 使う | 使う | 使わない |
耕起 | する | する | しない |
除草 | する | する | しない |
●自然農法の定義
まずは、自然農法とは、一般的にはどのように定義されているのか調べる。
wikipediaによる定義(閲覧2009年9月)では、自然農法とは
「不耕起(耕さない)、不除草(除草しない)、不施肥(肥料を与えない)、無農薬(農薬を使用しない)を特徴とする農法。肥料や農薬を使用する従来農法(有機農法も含む)と異なり、基本的に播種と収穫以外の作業を行わず、自然に任せた栽培を行う。しかし、油粕や米ぬかだけは撒く人や、耕起だけは行う人、草を取らずとも刈ってしまう人なども自然農法の実践者として名乗る事があるためその栽培法は多様である。日本や世界各地に実践者がいる。とされている。この「不耕起・不除草・不施肥・無農薬」の原則は、福岡正信氏が自然農法の四大原則としたものであり、「基本的に播種と収穫以外の作業を行わない」として定義した。福岡氏にとっての自然農法は、人智無用・無為自然という福岡氏の思想を実証するための手段として開始された。「何もしない農法」で慣行農法と同量以上の収量となれば、証明されたことになると初期には考えていたようである。ただし、何もしないとは放任のことではなく、不自然な人為をしないという哲学的な意味である。
福岡氏は昭和47年に著書で"自然農法"という言葉を使用したが、それより22年前に自然農法と言う言葉を提唱したのは、岡田茂吉氏である。当初は、岡田氏は"無肥料栽培"と称していたのだが、進駐軍が無肥料という名前では認められないというので、自然農法(自然栽培、自然農耕法)と改称したという。岡田氏は、宗教家であり、自然農法においても宗教的観念から出発している。造物主が人間生命を保持すべきものとして作った土に、化学肥料や糞尿堆肥という肥毒を投入してはならない、という無肥料栽培を原点とし、何を自然とするかは岡田氏の宗教的観念に依った。福岡氏の四大原則のようにあえて言えば、「不施肥・無農薬・耕起・除草」ということになるが、耕起と除草については適当で良い様である。なお、岡田氏亡き後、世界救世教の各派では、肥料についての解釈やEM資材の使用等の見解の違いで栽培方法の内容は若干異なる。
農家の川口由一氏は、無農薬とした場合の害虫対策として、現在の有機農法で広く行われている物理的な防除に頼らずに、圃場における生命の連鎖を生かし、害虫と益虫のバランスを図るため、不耕起・不除草とした。
自然農法の用法例
日本農法の天道(徳永光俊著、2000年)では、自然農法を「休閑することで自然に地力が回復するのを待つ段階(片荒(かたあらし))」とし、人工農法を「15〜17世紀に人間が自然を積極的に改造し施肥や深耕によって人工的に地力を増大させて連年作付けする段階(二毛作や田畑輪換)」とした。すなわち、15〜17世紀以前の自然に依存するという意味で「自然農法」、人工的に自然を改造するという意味で「人工農法」と名づけている(p.238)。
日本の自然農法(来米速水編集、1983年)では、自然農法とは岡田茂吉氏のものを指し、福岡正信氏のものは福岡式自然農法としている。福岡式自然農法を、自然農法の無化学肥料と無農薬に、無除草と無耕起の二つが付加されているが、理念は岡田氏の自然農法と軌を一にするものであり、「自然のリズム」に沿い、「現代の工業的な科学農法」を全面的に否定すると紹介している。
1. 「自然」と「農業」
まず、過去に提唱されている自然農法については考慮せずに、"自然"という言葉について考えてみたい。"自然"とは何であろうか。一般的に、自然と言えば、
1. 人間が関与しない山や川などのあらゆるもの。
2. 人間を含めて万物一切のもの。
3. 人や物の本来のありのままの状態や性質。
自然と農業の区別、採取と粗放栽培
農法は、農業の方法のことであり、農業は人手を加えて動植物を育てることであるから、人間が必ず関与するものであり、野山に自生している山菜を採取する行為だけの場合は、農法に含まれない。
人間を含めた万物が本来の状態や性質であることが自然だとすれば、田畑では本来の状態とはどのようなものであろうか。人間の力は、地球環境そのものを破壊するほど強力になったので、近代農業の状況を人間ありのままの姿だからといってそれは自然とは言えないことは、はっきりしているのだが、どの程度の人為を許すのかが自然農法を定義するうえでの問題となる。
人為を最も少なくした農業の形態は、いわゆる「粗放栽培」で、種を播いただけで、管理はせずに収獲だけを行うものである。
粗放栽培の一つに「焼畑農業」がある。焼畑農業は、森林や原野を伐採・焼却することで整地し、焼却灰を肥料とするため施肥は必要としない(このため耕す必要もない)。森林は、開けた場所に生える雑草がないので、焼き畑では雑草が生えにくく、初年度は除草の必要がない。土地の肥料分がなくなるまでの短期間のみ栽培が可能で、地力がなくなれば、放置され、再び植生が回復されるまで待つことになる。地力の低下の要因の他に、雑草の繁茂により耕作不可となることもあるようである(熟畑化過程における雑草植生の変遷に関する研究より)。現在、日本でも九州の山間部等で行われており、栽培期間は3〜5年で、栽培後15〜20年間放置される。
「切替畑(きりかえばた)」は、森林を伐採し畑として数年利用するが、焼却はしない点が焼畑農業と異なる。地力が衰えると、苗木を植えて、休閑する。
焼畑農業や切替畑は、除草がほとんど必要ではなく、肥料を外部から与えないが、自然農法と呼ぶことは、ほとんどないようである。
なお、「畑」という漢字は、元々の意味として畑は焼畑を指し、「畠」は常畑を指して、区別されていた。「畠」、「畑」とも日本の国字であり、漢字ではない。
化学肥料、化学農薬の普及以前
日本の農業においては、江戸時代に植物性原料の農薬が使われ始めたが、満足に害虫を駆除するものではなく、害虫は自然発生するものという認識であり、祈祷や虫送りに頼っていた。また、肥料は都市近郊では人肥が、換金作物には干鰯などの高価な肥料が使われたが、もっぱら草地や林地からの刈り敷きに頼っていたという。
武蔵野台地の例では、「化学肥料が導入される以前は、1反の畑に1反の山でとれたクズ(落葉)が必要で、1反のヤマのクズを1日で掃くには10人の労働力がいる」(武蔵野の畑作文化より)
高度に作物化した野菜
人間の欲望は限りなく続き、甘いものはさらに甘く、大きいものもより大きく、外観は人工的なまでのキレイさ、小売に都合がいい均一的な大きさ、本来の旬ではない季節での生産などを求めて、品種改良や生産技術が改良されてきたのが慣行農業である。限りない欲望を満たす人工的作物は、農薬と化学肥料と大量のエネルギーを使った工業製品と言えなくもないのではなかろうか? 高度に作物化された野菜を作るための「自然農法」はありえるのだろうか? ネットメロンや冬のイチゴを作ることができる自然農法はあるのだろうか?
個人的な見解による自然農法の分類
何をもって「自然」とするべきであるのか不勉強な著者にとっては定義付け難いので、個人的な見解によって、生物多様性を図ることで無農薬・無肥料とする農法のことを自然農法としたい。一般的な有機農業の圃場では、虫を寄せ付けない、雑草は生やさない、作物しかないような場所であり、「作物砂漠」となっていて、慣行農法とさほど変わらないように私は思える。私にとって、「自然」とは豊かな生命を表すものでなければならない。
岡田茂吉氏の農法は、原義が「無肥料栽培」であり、岡田氏は田畑に住む生物について言及していないようであるため、自然農法には含めない。
福岡正信氏の農法は、無為自然の証明のためであって、岡田氏の農法と同様に自然農法に含めない。ただし、不耕起栽培であるので、結果として豊かな生物を育む。また、粘土団子による緑化は、生物多様性に貢献した。
岩澤信夫氏の自然耕は、省力化と省コストを目的としたものであり、自然農法に含めない。ただし、不耕起栽培であるので、結果として豊かな生物を育む。
川口由一氏の自然農、耕さなければ雑草や虫たちの生命が守られ、農薬や肥料が不要となるという考え方であるので、自然農法に含める。
2. 農薬、肥料、除草、耕起などの用語の定義
農薬と肥料は、種類が多い。同じものを使っていながら、ある人は無肥料だと言い、別の人は肥料だと言うこともあるのが現実であるので、農薬と肥料についてまとめてみた。
●農薬
農薬取締法で農薬は定義されている。病害虫の防除に用いられる殺菌剤、殺虫剤その他の薬剤及び農作物等の生理機能の増進又は抑制に用いられる成長促進剤、発芽抑制剤その他の薬剤。
2002年に新設された"特定農薬"(通称は特定防除資材)は、食酢、重曹、天敵(農地の近くで採取した昆虫)の3種類が指定されている。特定農薬とは、農薬取締法第2条第1項において定義され、「その原材料に照らし農作物等、人畜及び水産動植物に害を及ぼすおそれがないことが明らかなものとして農林水産大臣及び環境大臣が指定する農薬」となっている。
また、有機農産物の日本農林規格で使用が認められている農薬には、重曹、食酢、生石灰、天敵等生物農薬、性フェロモン剤、クロレラ抽出物液剤、混合生薬抽出物液剤、二酸化炭素剤、ケイソウ土粉剤などがある。
無農薬という表示は禁止事項
特別栽培農産物に係る表示ガイドラインによれば、「無農薬」という表示は、「土壌に残留した農薬や周辺ほ場から飛散した農薬を含め、一切の残留農薬を含まない農産物」と受け取られ、優良誤認を招くとして表示禁止となっている。なお、「無化学肥料」という表示も同様な理由で表示禁止事項である。
消費者に誤認を与えず、特別な栽培方法を正確に消費者に伝えることができる内容の表示として、農薬を使用していない農産物には「農薬:栽培期間中不使用」と表示して良いことになっている。
特別栽培農産物に係る表示ガイドラインにおいて、農薬とは「農薬取締法第1条の2第2項に規定する天敵及び第2条第1項に規定する特定農薬を含まない」となっているため、天敵及び特定農薬を使用していても、その他の農薬を使用しない場合には「農薬:栽培期間中不使用」の表示が可能である。
特別栽培農産物に係る表示ガイドラインにおいては、「天然栽培」、「自然栽培」等は、紛らわしい用語とされている。
特定農薬の判定保留資材
木酢液・竹酢液などの判定保留資材は、暫定的に使用者が自分の責任と判断で使うことが可能である。木酢液・竹酢液は、農林水産省の調査によれば農薬としての効果を科学的に検証できず、また、いくつかの毒性試験で陽性を示したため特定農薬への指定は見送られた経緯があり、現在も特定農薬判定保留資材となっている。
無農薬という表示の例
リンゴの栽培で有名な木村秋則氏は、特定農薬の食酢を散布しているので、無農薬として紹介するメディアにおいては、食酢は法的には農薬と注釈が付けられている場合も見受けられる。
化学合成された農薬は使わずに、生物農薬のみを使っている農家では、"無農薬"という表示がよく見られるが、一般の人にとってはそれほど違和感はないであろう。
有機認証を受けた農家の一部には、有機JASで認められた農薬を使っている場合にも"無農薬"と表示している例もあったが、適切ではなかろう。
防除について
生物農薬や特定農薬といった安全なものを使ったり、人間が害虫を補殺したりするという防除は「菌や害虫を意図的に殺すこと」であり、それが自然の名前に値するのか自然と共生するのであろうか。無防除については、教条的だと感じる人もいるであろうが、「害虫は益虫のエサ」あるいは「過剰な肥料を摂取した野菜を害虫が食べ、清浄化する」と積極的に考える人もいる。
一般的な農薬、安全な食酢、生物農薬などの使用は、適切に使用すれば健康に問題はなく、環境への影響も少なくなるであろうが。。。
●肥料
"無肥料"という言葉も、"無農薬"と同じように、解釈の異なる人や誤解をしている人が多い。肥料は「肥料取締法」で定義されている。土壌の改質のみを目的としたもの、たとえば、腐葉土は、肥料ではない。一般には腐葉土と呼ばれているものを、自然農法では、自然堆肥と呼び、施用する流派もある。たい肥は、肥料ではないと言う人もいるが、肥料取締法では、特殊肥料として規定されている肥料である。
・特殊肥料
米ぬか、魚かす、たい肥、動物の排泄物(乾燥した鶏糞)など。特殊肥料は、公定規格を設定できないため、肥料成分の最低基準はなく、窒素含有量が0.5%未満など極めて肥料成分が少ないものもある。
・自然堆肥
草や落ち葉を堆積させ自然に腐食させた腐葉土のことであり、一般的には肥料とは言わないが、岡田茂吉氏の自然農法では自然堆肥と言うこともある。草や落ち葉を早く分解するために米糠などを加えたものは、自然堆肥とは言われていない。
動物の排泄物を材料に含む堆肥(動物性堆肥)
動物性堆肥で発酵が未熟なものを過剰に施用すると、病害虫が増えるのは事実であり、慣行農法では完熟した堆肥の施用が推奨されている。自然農法では、多くの流派が動物性堆肥の施用を禁じている。動物の生産過程においては抗生物質やホルモン剤が使用されることはある。また、発酵が不十分な場合には寄生虫の恐れがある。
3. 各農法について
下記に自然農法や自然という言葉が付く農法についてまとめた。(自然栽培は岡田茂吉氏系統として分類した。2013年2月追記)
岡田茂吉氏の流れをくむ自然農法
略歴 岡田茂吉(おかだもきち1882-1955 自然農法という名称の提唱者)。
宗教家としても知られる岡田氏は、大正9年に大本教に入信し、昭和10年に大日本観音会(後の世界救世教)を立教した。昭和10年に世田谷区上野毛に移転し、翌11年から畑作をした。昭和13年から畑作を対象にして無肥料栽培の実験を開始し、昭和17年から水稲栽培も開始した。昭和18年に「化学肥料で栽培された作物を食べると、知らず知らず人体に悪い影響が出る」と述べ、個別的に無肥料栽培を信徒に奨励していたという。最初に公に発表した「地上天国創刊号 昭和23年12月」では"無肥料栽培"という名称であったが、昭和25年10月の地上天国17号にて自然農法・自然栽培と改称すると発表した。28年に「自然農法普及会」が発足、29年に月刊誌「自然農法」が創刊。30年に岡田氏が亡くなった。39年に第一回自然農法推進大会を開催。43年に熱海商事売店に自然食品コーナーを設置し販売体制の整備を開始したが、翌44年には自然農法普及会が解散し一時退潮した。しかし、46年には自然農法研究委員会が発足、47年全国自然農法担当者会議開催。48年に流通機関のMGCを設立(MGCは後にMOA商事、MOAインターナショナルとなる)。57年に大仁農場開設、自然農法国際総合開発センターとMOA研究所設立。60年に財団法人自然農法国際研究開発センター設立(任意団体だった自然農法普及会と自然農法国際総合開発センターを改組)。1999年にMOA自然農法文化事業団設立。
土は神様が作られた清浄なものであり、清浄な土へ肥毒(人や家畜の糞尿、化学肥料)を投入しないことを根本とする農法である。自然堆肥(木の葉や草を材料にした堆肥)も活用するが、肥料として用いるのではなく、根の伸びをよくするため30cmほど土と混ぜ合わせるためと地表に敷き保温のために用いるとしている。植物質を堆肥化して使用してはいるが、目的が土壌改良であるので、現在でも無肥料栽培といえる。害虫は肥毒によって発生するものであるから、肥毒がなければ農薬は不要となる。肥毒がなくなれば作物の生命が強くなり、雑草は弱くなるという。不耕起ではない。
以下に、岡田氏の無肥料栽培に関する論拠をいくつか示す。
「私は今無肥料栽培につき解説するに当ってまず根本理論から説いてみるが、そもそも土とは何ぞやと言う事である。言うまでもなく人間生命を保持すべき最重要なる五穀野菜を生育すべく、造物主が造られたものに違いない、従って土そのものの本質は神秘幽玄なるものであって、現在までの唯物科学によるも到底窺知し得ない事は論をまたないところである。しかるに今日までの農業はしらずしらず邪道に堕ちいりたる結果土の力を蔑視し、一切の作物をより良く生育するには糞尿または化学肥料等の人為的肥料に依らねばならぬと思い、今日に到ったのである。
(中略)
そうして前述のごとく金肥及び人肥は必要としないが、天然堆肥は大いに利用する必要がある。それについて述べてみよう。あらゆる植物を成育さす場合最も肝腎な事は、根の末端である毛細根の伸びを良くする事であって、それには土を固めないようにするのである。堆肥はあまり腐らせ過ぎると固まりやすくなるから半腐れ位がいい。草葉の堆肥は早く腐蝕するからよいが、木の葉は繊維や筋が硬いから、長期にわたっても充分腐蝕させるべきである。その訳は前述のごとく根の尖端が堆肥の葉筋に当り妨害されるからである。近来、根に空気を与えるのを良いとしているが、これはちょっと的外れである。何となれば空気が流通する位の土であれば根伸びが良いからで、実は空気は関係がないのである。今一つ注意すべきは土壌を温める事で普通の野菜においては堆肥は地下一尺位の深さに一尺位の積層を作るとよい。ただ大根、人じん、ごぼうのごとき根が目的のものは堆肥のふかさもそれに準ずべきで、その場合草葉の堆肥を土とよく混ぜ合す事、木の葉の堆肥は右のごとく地下の床作りにする事、これが理想的である。(以降略す)[地上天国 1号、昭和23年12月1日発行]」
「堆肥を使う自然肥料 ここで注意したい事は吾らがいう「無肥料栽培」という言葉は実をいうとピッタリしないのである、何となれば堆肥を用いるのだから無肥料ではない、自然肥料というのが本当である、すなわち人造肥料をやめて自然肥料にする事である。(光39号 昭和24年12月10日)」
「人肥金肥は一切用いず、堆肥のみの栽培であるから、その名のごとく自然農耕法というのである。もちろん堆肥の原料である枯葉も枯草も、自然に出来るものであるからであって、これに引換え金肥人肥は元より、馬糞も鶏糞も、魚粕も木灰等々天から降ったものでも、地から湧いたものでもなく、人間が運んだものである以上、反自然である事は言うまでもない。(栄光 79号 昭和25年11月22日)」
「中耕も土を固めぬためです。箱根で古くて小さい、いじけてしまった木を見ると下に石がたくさんある。それが邪魔して発育が悪いんです。根が石なんか割りますからね、すごい力です。だから耕すのも固まらせないことが必要です。(御垂示 昭和23年4月8日)」
「信者の質問:大先生様御主唱の無肥料耕作には堆肥として草を用いるように伺いましたが、現今学界で反対されております枯草、枯葉等に糠を加えて発酵させた堆肥を用いると在来の金肥、下肥等の場合より効果多いと承りましたが、右の肥料は大先生様の御理論と等しきものと考えて宜しいもので御座居ましょうか。
明主様御垂示:農法は自然が元になっている。枯草や枯葉があるという事は、神様がそういう風に造ってあるのである。であるから、糠を加えるのは不可である。(御垂示 昭和23年12月12日))」
「レンゲなんかいりませんよ。あれは肥料じゃなくて美しい花を見せるために神様がお作りになったんですからね。(御垂示 昭和25年1月20日)」
「除草は問題ではない。良いと思う時にすればいい。無肥料になると草の生え方が違う。米の成長する力が強くなるから雑草の生える力が弱くなる。神様は人間の生命を保つものには、強い力を与えている。故に無肥料になると除草が楽になる。(御垂示録1号 昭和26年8月5日)」
「元来害虫なるものは、人為肥料から湧くものであるから廃止すれば湧かないに決っている。処が現在は害虫を駆除しようとして、殺虫剤や消毒薬を旺んに用いているが、実はこれが土壌へ浸み込んで、害虫発生の原因となるのでその無智なる哀れむべきである。(栄光141号 昭和27年1月30日)」
人肥金肥は一切用いず、堆肥のみの栽培であるから、その名の如く自然農耕法というのである。勿論堆肥の原料である枯葉も枯草も、自然にできるものであるからであって、これに引換え金肥人肥は固より、馬糞も鶏糞も、魚粕も木灰等々天から降ったものでも、地から湧いたものでもなく、人間が運んだものである以上、反自然である事は言うまでもない。(自然栽培の勝利(革命的増産の自然農法解説)昭和28年5月5日)
「自然農法の原理について簡単にいうと、土の偉力を発揮させることだ。自然農法の名は人肥、金肥は一切用いず堆肥だけの栽培で堆肥の原料である枯葉も枯草も自然に出来るものだから私がこうつけている。そもそも森羅万象どんなものでも大自然の恩恵に浴さないものはない。つまり火、水、土の三原素によって生成化育するということがいえる。(東京日々新聞 昭和28年2月27日発行)」
(参考)岡田茂吉師の自然農法に関する論説(多田光行編)、創始者 岡田茂吉の言葉、神慈秀明会 会員の編集する明主様・岡田茂吉師御教え集
岡田茂吉氏が立教した世界救世教は、現在3派体制(世界救世教いづのめ教団、東方之光(MOA)、世界救世教主之光教団)となっており、自然農法についても拠点が分かれ、自然農法国際研究開発センター、MOA自然農法文化事業団-自然農法大学校となっている。
また、世界救世教の派生教団においても、自然農法は行われており、それぞれの自然農法では若干異なる部分がある。
自然農法国際研究開発センター
化学肥料・農薬(合成・天然を問わず)は使用しない。畑作では、堆肥施用、刈り敷き、緑肥、EMボカシで、耕起は未熟な土では深耕・客土とし成熟した土では草生栽培を主体に省耕起とする。
MOA自然農法文化事業団
化学合成された農薬や肥料は使用しない。落ち葉や草を材料とした自然堆肥を活用する(家畜糞堆肥は事業団の認可が必要)。自家採種が望ましい。暗渠、堆肥、客土などで土壌改善。
秀明自然農法
神慈秀明会(世界救世教からの分派教団)。秀明自然農法ネットワークでは、「秀明自然農法実施要綱」を定めている。無肥料での栽培を基本とするが、枯れ草、落ち葉だけから成る「自然堆肥」の使用も過渡的に許容している。秀明自然農法で特徴的な栽培技術は、"連作"で、同じ圃場に作付けする作物を一種類に限定する。自家採種が原則。全国各地に約1200名の生産者が秀明自然農法を実施している(注1)。
佐古氏の例では、トマトの連作に関しては失敗の連続であるが、10年以上もトマトの連作をして成功している人もいるという(注1)。
注1)佐古康徳(秀明ナチュラルファーム),秀明自然農法というこだわり,2007
自然農法=無施肥・無農薬栽培
黎明教会(世界救世教からの分派教団)。NPO法人無施肥無農薬栽培調査研究会で調査・研究などをしている。“無施肥無農薬栽培法”は、化学肥料や農薬はもとより、有機物さえ人為的には一切使用することなく、土壌の生産力と灌漑水による天然供給のみによって農作物を栽培する。耕起、除草は行う。
自然栽培
株式会社ナチュラル・ハーモニーやリンゴの無農薬栽培で有名な木村秋則氏が使用している言葉である"自然栽培"。ナチュラル・ハーモニーによる自然栽培の定義は「肥料も農薬も使わない栽培方法で、外からの養分供給を行なわない」。
木村氏も無農薬無肥料ではあるが、ナチュラルハーモニーは生産された作物が健康に良いことを強調するのに対して、木村氏も自然栽培の作物の素晴らしさは説くが、自然との共生(木も動物も花も虫も、人間も兄弟であり、人間は自然の支配者ではなく自然の中に人間がいる)を理想としている。ナチュラル・ハーモニーの創業者の河名秀郎氏は、岡田茂吉氏の自然農法の影響が強いようである。
自然栽培全国普及会による自然栽培の定義は、『本自然栽培 栽培基準において「自然栽培」とは自然の力をいかんなく引きだす永続的かつ体系的な農業方式の呼称です。肥料・農薬には頼らず植物と土の本来持つ力を引き出す農業です』。また、自然栽培の理念は『「自然尊重 自然規範 自然順応」の3つの言葉に集約されます』。使用禁止として『人・家畜の排泄物及び人・家畜排泄物を含む全ての資材、堆肥等』
「自然栽培」という言葉
この言葉は、もともとは岡田茂吉氏が、昭和25年頃から「自然農法」という言葉と同じ意味で「自然栽培」という言葉を使っていた。たとえば、昭和25年11月22日発行の栄光79号では「自然栽培の勝利 土の偉力」と題した論文の中で、「そもそも自然農法の原理とは、土の偉力を発揮させる事である」とある。
・木村氏の自然栽培
無農薬、無肥料。養分を補給する場合は、大豆などのマメ科植物を混植する。
主人公は作物で、人間はお手伝いをするものであり、栽培する作物の身になって考えることが大切だと説く。たとえば、スピードスプレーヤーの使用については、「もし、あんたの体の上を車が走ったらあんたどう思う。痛いと言うだろう。木は何も言わないけれど、かゆいとか痛いと感じるだろう。(参1.p132)」
リンゴ栽培では、黒星病予防のために、酸度15%の醸造酢と小麦粉の糊の展着剤を混ぜて散布する。醸造酢を同じ濃度で使うと病原菌が耐性を持つので、200〜400倍に希釈倍率を変えて使用する。暑い夏には下草を生やすが、9月中旬頃に草を刈ってリンゴに秋を知らせる。養分補給のために大豆を播くが、大豆1本あたり根粒数が10粒以下になったら翌年は播かない。
米の栽培では、肥料は施さない。田んぼは乾かしてから粗く耕し、乾土効果を発揮させる。秋には耕起はせず、ワラを土の上に置けば腐敗せずガスが発生しない。田植え後の除草は、田植え1週間後に自動車のタイヤチェーン2本をひきずって歩く、それを1週間ごとに計3回行う。
「野菜の栽培では、米栽培と同様に乾土効果が大事で、大きく粗く耕す。乾土効果の目的は、土中に酸素を好気性菌の活動を促すことにある」という。
リンゴの無農薬栽培を始めた頃に、福岡正信「わら一本の革命」とロデイル「有機農法」を読み、自然農法の考えにひかれたそうである。自然農法ではなくて"自然栽培"という言葉を使う意味は、農業は抽象論ではなく経済行為であり、農法論ではない。百姓は作物を栽培して生活をしていかなければならない。経済的に成り立つやり方でないといけない(参1,p193)
参考1)木村秋則著,リンゴが教えてくれたこと,日本経済新聞出版社
福岡正信氏の自然農法
略歴 福岡正信(ふくおかまさのぶ1913-2008)は、横浜税関に勤めていた昭和13年に肺炎をきっかけに突如「人知・人為は一切が無用である」と悟り退職。その一切無用論を証明するために、実家のミカン園にて何もしない放任栽培を開始したが、400本のミカンはおおかた枯れてしまい失敗した。後年、「放任は自然ではなかった」といい、剪定で自然型の樹形を作ると無農薬にできると述べている。昭和14年、高知県農業試験場に就職したが、職務の傍ら自然農法と科学農法を問題にしていた。終戦後の昭和22年に再度帰農し、粘土団子にして種をまく米麦連続不耕起直播を考案した。著書は、昭和47年 緑の哲学 自然農法と理論と実験、昭和50年「自然農法・わら一本の革命」、昭和60年 無〈3〉自然農法など多数ある。思想・哲学家としても知られる。
「無分別の智恵で認識された自然を真の自然とし、人間の創造した分別智による自然を虚像の自然として明確に区別し否定する。この虚像の自然、不自然なもの一切を排除する」という福岡氏の自然観、哲学的思想について、人知とは人為とは何を指すのか私には理解することが難しい。究極的には無労働の農法を目指していたようである。
川口由一氏の自然農
略歴 川口由一氏(かわぐちよしかず 1939-)は、「自然農」の提唱者。23年間の農薬使用で体を壊し、その時に、福岡正信「わら一本の革命」や有吉佐和子「複合汚染」を読み、昭和53年より無農薬栽培を始めた。当初3年間は7反の田んぼで翌年の種もみくらいしか収穫できなかったが、10年を要してなんでも育てられるようになる。自然農は、「耕さず、肥料・農薬を用いず、草や虫を敵としない、生命の営みに沿った農」という言葉でよく説明されている。昭和62年「妙なる畑に立ちて」を雑誌に連載した。自然農を学ぶ場所「赤目自然農塾」では、毎年250人以上、これまで3500人以上が学び、全国では同様な場所が40箇所以上あるという(注1)
なお、"自然農"という名称は、"自然農法"が商標登録されていたために名づけられたらしい(未確認)。
自然農は、自然を"命の営み"ととらえ、命の営みに沿い従う農法である。根本は、耕さないことであり、耕さなければ雑草や虫たちの生命が守られ、その結果として農薬や肥料が不要となるという考えである。
著書は、「妙なる畑に立ちて(1990)」、「自然農から農を超えて(1993)」、共著に「自然農」、「子供の未来と自然農」、「自然農への道」、記録映画に「自然農 川口由一の世界」などがある。
注1)こころの時代〜宗教・人生 自然に沿って生きる 川口由一 2004年12月12日
百福自然農法
除草は、除草剤や殺虫剤は使用せず、強力な火炎放射機を用い、雑草の種や害虫の卵等を農作業をはじめる前に焼く。肥料は、「自然界で生育する植物は地表面から栄養成分を吸収して育つ」という仕組みを生かし、「生竹をチップ状にし、さらにともずりをかけ、竹のリグニンとセルロースを分離し、綿状にしたものを地表に撒く」という。
自然耕
岩澤信夫氏が提唱した稲の冬期湛水不耕起移植栽培のことを「自然耕」ともいう。農薬と化学肥料は使用せず、有機質は植物質のみで動物由来は使用しない。圃場が固いため、専用田植機を使っての田植えとなる。
公式HP:田んぼ博士の応援隊、自然耕塾では実地指導が受けられる。
岩澤信夫氏の代表的著書「不耕起でよみがえる」
循環農法
循環農法は、赤峰勝人氏が提唱している農法で、無農薬、無化学肥料、完熟堆肥施肥、草生栽培である。赤峰氏の著書「循環農法」では、循環農法とは「土から生まれたもの(草)を発酵させ、土にしてから、田畑(土)に返す方法で土作りをし、旬の作物をできるだけ、自然の状態で育てること」と説明している。赤峰氏は1970年に無農薬化学肥料栽培から開始し、1982年になって無農薬無化学肥料で満足なニンジンを栽培することに成功したという。「畑に加えるのは完熟堆肥のみで、材料は草、稲藁、籾殻などの植物79%、それを分解する窒素分として残飯、豚糞、牛糞、鶏糞、米ぬかなどを21%加える。堆肥が少しでも未熟だと作物が病気になったり虫に食われたりする。稲作の場合は、田んぼの外からは全く堆肥を入れない。収穫後に草を生やし、稲藁も籾殻も田んぼに戻して堆肥にする。(自然に従う生き方と農法 ルオム ツルネン・マルティら著より)」
著書は、ニンジンから宇宙へなどがある。
炭素循環農法
炭素循環農法は、林幸美氏が提唱した農法自然農業
日本自然農業協会。天恵緑汁、漢方栄養剤、乳酸菌、魚のアミノ酸など手作り活性化資材を使って土着微生物の力を活用する。
天然農法
藤井平司氏の著書「甦えれ!天然農法(1983年) 」
天然理学農法
楢崎皐月氏が提唱した「植物波農法」の別名として「天然理学農法」が使われている。大地電位の調整技法。楢崎研究所
不耕起栽培
不耕起栽培であっても、水口文夫氏のように、不草生・化学肥料施肥としている例もある。
パーマカルチャー(永続可能な農業)
パーマカルチャーでは、「森のような畑を作る」ため、落ち葉によるマルチングをする。除虫と除草のため、草食動物を利用する。
バイオダイナミック農法
有機農法の一種で、人為的な化学物質を使用せず、ハーブ、鉱物、家畜を利用して作った調合剤で防虫する。天体の運行が作物に影響すると考え「種まきカレンダー」に従って、種まきや植え付けなどを行う。
自然環境農法
百余年前にアープ・トーマス博士が提唱した農法。生態系の原理を重視した微生物(アープ・トーマス・オルガ菌、60種余りの微生物群)を活用する。
・NPO法人 自然環境農法研究会
●商標によって登録されている名称もある。
「自然農法」権利者 世界救世教
野菜(「茶の葉」を除く。),茶の葉,糖料作物,果実,コプラ,麦芽 (略)
「自然農法」権利者 財団法人自然農法国際研究開発センター
雑誌,新聞
「自然農法」権利者 メルシャン株式会社
日本酒,洋酒,果実酒,中国酒,薬味酒
「自然農場」老松酒造株式会社
野菜
「地球式自然農法」スナガ開発株式会社
「救世自然農法」財団法人自然農法国際研究開発センター、株式会社瑞雲
「MOA\自然農法\いちばん」「MOA\自然農法\にばん」株式会社エム・オー・エー商事
「天然自然農法会」阿藤 鋭郎
「秀明自然農法」宗教法人▼神▲慈秀明会
「EM自然農法」株式会社EM研究機構
●有機農法の先駆例
安藤孫衛氏
昭和25年、福岡市にて内科医院を開業。自然食による食餌療法を徹底させるため無農薬有機肥料栽培の自家農園を拓き、自ら耕して農作物を入院患者の食事に供する。昭和27年「食品公害から健康を守る会」発足
梁瀬義亮氏
昭和34年医師であった梁瀬氏は「五条市健康を守る会」(後の財団法人慈光会)を発足させ、協力農家にて無農薬、無化学肥料、有機肥料施肥で栽培した。→財団法人慈光会 有機農法について
田や畑は人間を含めた動植物が共生する豊かな生態系を形作っていれば、人間と自然は対立するものではなく、自然農法が成り立つであろう。
作物は数千年の歴史をかけて人間が野草から改良を重ねてきたものであり、人間の手を加えずに自生し続けられる作物はほとんどない。田畑という人間が管理する環境においてのみ、作物は次の世代へと生き続けられる。田畑からの恵みを人間は享受するが、農薬を使わない農業をしていると、田畑の周囲の環境にも支えられていることに気付く。化石エネルギーに支えられた近代農業は、いずれ破たんするであろう。その時に、田畑の周辺の豊かな環境、動植物がなければ、特定の病害虫の大発生により農業は成り立たないのではないだろうか。日本のような温暖湿潤の気候では、雑草・害虫は多い。しかし、人間の手の加えられていない環境では、多種類の動植物が共存・競争して、特定の動植物だけが大発生することを防いでいるし、田畑においても実際に実践している人はいる。
農薬を使用せず、害虫も補殺しなければ、実に興味深い生命のつながりを見ることができる。アブラムシにだけ寄生するハチ、その寄生しているハチにさらに寄生するハチもいる。テントウムシはアブラムシがいないと困るであろうし、アブラムシを餌にしてカマキリの若い幼虫は育つ。カマキリの卵だけを食べる虫もいる。害虫がいなければ、益虫は育たないのだ。益虫の棲む雑草も必要だということにも気が付く。
→ 自然農法 関連の本
本記事は、長い時間をかけて調べ、書いたものです。無断で転載することは、固くお断り致します。 無断転載された例→1 2
初稿 2009年9月 以後、数知らず、修正・加筆。最終更新 2013年2月18日
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